1956-05-10 第24回国会 参議院 法務委員会公聴会 第2号
それだから今後ともたとえ死刑廃止が不成功に終っても、私はいつまでも死刑廃止を主張しますし、あらゆる機会に一般の人にも訴えたい、こういうふうに思っておりまして、法律以上に宗教信念を重んずる立場です。
それだから今後ともたとえ死刑廃止が不成功に終っても、私はいつまでも死刑廃止を主張しますし、あらゆる機会に一般の人にも訴えたい、こういうふうに思っておりまして、法律以上に宗教信念を重んずる立場です。
そういうような面から考えましてですね、お寺のかたで文化財の御案内を頂く場合に非常に大事に、全般に対して大事にすべき考えを我々が持つのは当然かも知れませんが、御案内頂くような場合に御仏体に対する態度、或いは観念というものに何か非常に粗末に考えて、先ほど物件というようなお話がありましたけれども、普通の物件と変らない、古くから伝わつておるものだから一応大事にしたらいいというような宗教信念を離れたような立場
だから警察予備隊に一つの指導精神という目標をお掲げになつておるとするならば、ぜひともこの宗教信念に基くという、強く心の底に根ざした信条と申しますか、そういうものとして御訓練を願いたいと考えるのでありますが、これに対する指導原理と、またこれに対して宗教的の裏づけをするのがよいか悪いかということについて、お伺いをいたしたいと思います。
ところで宗教団体のいわゆる宗教家の経営いたします社会事業、即ち宗教家として宗教信念に基き、これがためによさのある宗教団体のこの社会事業、これを大いに振興させまするためには、この施設に従事いたします職員の資格、例えば保姆でありますとか、養老院の院長でありますとかいうような、そういうふうな者が、それは宗教家なるが故に信仰に厚い宗教心によるが故に独特のよさがあるのであります。
これは那邊にその原因があるかと申しますると、私は、日本國民が宗教を尊重せないからで、民主主義の徹底にいたしましても、平和理念にいたしましても、宗教思想を抜きにし、宗教信念を抜きにしては、これは不徹底であり、とうていその實現は困難だと思います。
もちろんローマが一朝にして成らなかつたように、アメリカの民主主義が自由にしても博愛にしても寛容にしても、これがすべてキリスト教的信念からでき上つておりますように、日本は日本としての民主主義が、やはり一つの宗教信念から現れたものでなければ、徹底すべきものでない、これは確信を持つております。
いかに國民一般にキリスト教の宗教信念が浸透しておるかということは、先程申しました復活祭パスハの場合に私自身が實見したことで十分御了解できると思います。 英國はやはり一夫一婦の國であります。曾ては離婚は許されなかつたことは先程申した通りであります。コモン・ローでは姦通を犯罪としておりませんけれども、併しながらイギリスは政治と宗教の合體した國でありまして、宗教上は姦通を罪惡としておる。
羽仁さんの言われるのは、特定の宗教を捉えられたのであつて、我々はそれを警戒しながら、人間としての生命線である一つの宗教信念というもの、宗教というものを如實に國民の育て方の上に採り入れるという完全な教育の方針を立てたい。こういう意味において立論しておるので、これは決して衝突をしたものでない。こういうことを明らかにしておきたいと思うのであります。